アラクネの書棚

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ペラ3シナリオ朗読で、投票

 前記事にも書いたのだけれど、「分け入つても分け入つても本の山」というブログを継続して読んでいる。毎日ではないが1週間に1度くらいは通って、溜まっている記事を拝読する。
 yonda?氏が通っていらっしゃるシナリオスクールで、ペラ3(200字づめ原稿用紙3枚)のシナリオを書き手に音読させ、生徒が互いに投票するという話があった。で。私が「アラクネ」で激賞したこの方のシナリオには、60人の生徒がいる教室で、1票も入らなかったのだそうだ。
>やばいってくらいしょげていました。
 と、筆者yonda?氏は、書いていらっしゃった。
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物語の最小量

 話を逸らすようなのだが。
 うちのブログにもよくコメントをいただく文技研の林氏と、「物語」が書ける長さについて議論をしたことがある。
 日本語というのはスゴイ言語で、17音節あれば、俳句という名の定型詩が書ける。だが、俳句で描けるのは、たぶん1枚の絵・1つの切り口のようなもので、「物語」ではないと思う。
 「1行で泣けるナントカ」みたいなものを読んだこともあるが(私があまり泣かなかったのは秘密♪)、あれも物語ではない。強いていえば、読み手のなかにその「1行」と共鳴する「物語」や「経験」があるときに、「1行」の言葉が感動を呼ぶことはあるのだろう。

 では読み手のなかにない物語を、新しく書き起こすときに。作品世界を描き、人物を描き、行動を描いて、感動を与える、それには、どの程度の「文字の量」が必要なものだろう。

 原稿用紙20枚くらいは要るんじゃないか、というのが、そのときの議論のトバ口だったように記憶している。ちなみに原稿用紙は400字詰めのほうである。200字なら40枚。
 だが、「アラクネ」で取り上げた作品のなかで、『チグーミ』が6枚、『煙草呑みの犬』が6枚、『眠り病』が8枚。これはやはり「物語」であろうと、私は思った。もちろんこれは私の「好みの作品」というだけで、世に広く認められた、というものではないのだけれど。自分自身の皮膚感覚では「これぐらい」が“物語”の最短のような気がしていた。
 このように短い短編(掌編?)小説で「いいな」と感じるものは、私の場合は少なくとも、セリフより地の文と相性がよい場合が多い。だいたい、文章が(20字づめで)5行あれば、その文体と自分の相性はわかる。私の好みの文章は、文章のリズムで期待をいだかせ、含意のある語彙で短いなかにも情報量を増し、原稿用紙10枚未満でも読み終わった後、掌に玉を乗せたような心地よい重さの読後感を残してゆく。

 俳句や和歌がときに鮮やかな場面を描出するように、原稿用紙1枚の詩、あるいは緻密な小説なら、その「上手さ」において、読者の感嘆を呼ぶことはあると思う。だが、それはあくまで「文章の上手さ」「画面(場面)の美しさ」であって、「物語」とは別のものではないのか?

シナリオは「地の文」の魅力が通用しない

 さらに。小説ではなく、シナリオの場合。

 シナリオというからには、たぶん、セリフが主体と思われる。ト書きだけのシナリオ(パントマイムのようなもの)がOKだったのかどうかまでは、記事に直接の記述はないのだけれど。
 セリフ主体だとすれば、つまり、口語である。普通の人間というのは、あまり「むずかしい」言葉を使って喋ったりはしないものだ。小説の地の文で「おお、これは」と思わせるくらい端整な文体で喋らせたら、そのキャラクターはよほどのキザか、慇懃無礼っぽい人物になってしまう。これは偏見なのかもしれないが、600字の小説と、600字のシナリオでは、600字の小説のほうが情報量が多い気がしてならない。
 念のために確認しておけば、これはあくまで「数百字レベルの少ない文字数の場合」という前提だ。数百枚の単位になれば、シナリオ形であろうと小説形であろうと、一つの作品世界を構築し、人物を描きあげ、読者を魅せる「物語」を形作る。シナリオという形が、小説という形に劣るとは思っていない。だが、今回の前提は、ペラ3である。

>天才なら原稿用紙1枚でも人の胸を打つものを書くでしょう。
 と、筆者yonda氏はお書きになる。

 ここで声が小さくなるのだが……。二次著作なら、原稿用紙1枚の「感動作」がありうると思う(苦笑)。二次著作は、世界も人物も、外枠としての物語も、読み手のなかにすでにある。そこに原稿用紙1枚分の情報量で「切り口」を提示し、もともとその原作が好きである読者に「共感」をしてもらうことによって、「感動」を呼ぶ。それなら、可能だろう。

 しかし、「独立した作品世界と人物」を使って、「長さ原稿用紙1枚」で、形式が「シナリオ」、この厳しい条件で「人の胸を打つ」という作品が、私には想像できない。私が天才の仕事を知らないからか、私自身が凡人にすぎるのか。
 私でも、600字あれば、「ハシにもボウにもかからない」レベルのものを足切りすることはできるかもしれない。だが、「ベスト」を選ぶというのは、別の作業ではないのだろうか? 作品としての感動がなければ、「好きなもの」は選びとれない。まして、60作中の「ベスト」は選べない。
 この投票が行なわれたシナリオスクールの講師は、むろん、それができると思うから投票をするのであろう。そしてその結果に「しょげた」とお書きになるyonda?氏も(意識してか無意識にかはワカラナイが)ある程度それに賛同なさっているということだろう。

声は排除できるのか

コメント欄より
麻生新奈
シナリオ朗読を評価する場合、朗読とシナリオのよしあしは容易に峻別できるものですか?、ドラマというのは演者とシナリオが両輪だと思っているのですが切り離した評価は簡単にできるものでしょうか? 演者を頭から追い出してシナリオだけを評価するには、かなりの慧眼を必要としそうな気がして仕方ないのですが、私の未熟でしょうか。

yonda氏
シナリオはだれが読んでもおなじものが目に入る。
朗読はだれが声に出すかによってかなり評価に差が出る。
すばらしいシナリオだったら、どんなつっかえつっかえでもいいのでしょう。
心地よい声だったら、恐ろしく退屈なシナリオでもいい。
そのうえ美男美女だったらシナリオなど問題にしない聞き手が一部います。


 さて。ここで。恥ずかしい告白タイム。
 私は、小学校のころに演劇部だった。1年目が演劇、2年目が放送劇をやった。担当教師は、趣味レベルとはいえ演劇経験があった。身体ができあがっていない子供を発声練習から鍛え、マイクに声を「乗せる」コツを伝授した。うちの家系は悪声だが、私がいまそこそこ「マイクのりの悪くない」声が出せるのは、この教師のおかげだと思う。
 その過程で、もって生まれた声と、その出し方(呼吸法など)によって、セリフの「伝わり方」が違うと実感した。

 ここにこの話を引き写すのはちょっと躊躇いはあるのだけれど。yonda?氏には、吃音があるという。
 60人入る教室で、60本のシナリオが読まれる。600字を丁寧に読んで2分くらいだろうか。60本だと、およそ2時間の長丁場。その時間は2分ずつで切り刻まれ、シナリオからシナリオへ、作品世界から別の作品世界へと移動してゆく。耳から作品を聞き取る集中力を維持するだけでも大変だろうと思う。
 上に、600字のシナリオから「ベスト」を選ぶのは至難ではないかと書いた。さらに、声の要素を払底して、「シナリオを評価」できるものだろうか?
 もし私が、聞いて、選ぶ側なら。まったく自信はない。自信がないまま……正直にいえば……聞きやすかったもののなかから、どれか選ぶような気がする。
 美男美女であるかは、あまり問題にしないと思うが、一般的な傾向として、美男美女のほうがモノオジをしない。モノオジをせずに、肺から喉にかけてすぅっと息を通すような発声方法は、マイクに声をきれいに乗せるコツと重なり、「聞きやすさ」にも繋がっていくのではあるまいか。

などと書いてきたものの

 ここまで書いてきて、やっとなんか判ってきたんだが。
 どーも私は、その教室にいた(yonda?氏に投票しなかった)59人に

「けっ」


 と言いたいだけなんでないのか? うん、なんかそんな気がしてきた。
 わかってたまるか?みたいな??

 わー。麻生、ナニサマ!。

……この文字数を費やして、結論は「けっ」か。なんだかなぁ。出そうか出すまいかちょっとどうしようかって量だけど。
 捨てるのももったいない量なんで、とりあえず出してみるw。

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  1. 2009/05/12(火)
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コメント

ぷらっと

そのシナリオスクールの受講者はどんな人が多かったんでしょう。
主婦世代・若くて暇なひとなんかが多かったとすると、性的な言い回しや屈折した毒舌・反骨なんかは排除されると思います。
原文読む限りではそうした破壊的でパンクな皮肉を利かせているように思います。たぶん、うーん、そこにいた人々の構成とかわかんないですが、じいちゃんばあちゃんの多い公民館でパンクロック流したような感じだったんじゃないですかね。
普遍的で毒に満ちた世界の凶暴さよりは、共同主観的な浅くてヌルい価値観のほうが、だいたいの人間は好きだし。見たくないし無視してかかると。

それとyondaさんはシナリオスクールにそもそも向いてない気がします。何か教えられるていうことにぜんぜん納得できてないし、んーーーあと失礼ながら一見して、そこで教えられている内容にあんまり、共感できないというか、……実用的でない気がします。
  1. 2009/05/14(木) 14:33:38 |
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  3. 林 #40ZARpUE
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林さん、どれを読みなすったん。

林さん、いらっしゃいまし、どれを読みなさったん?

もしかして、これ?
「走れキッチ!」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-2031.html

全体にはもうちょっとマイルドだったと思います。朗読時の作品はたしかブログ掲載されていなかったと思うけど、これもそれほど過激なものではなかったのではないかな。

ただ、シナリオスクールに向いていらっしゃらないのは同意。むしろ、「よくあるカタチ」を講義として受けながら、それ以外に思いをめぐらす時間をしっかり持つために通っていらっしゃるようにも見えたり。
  1. 2009/05/15(金) 12:32:21 |
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  3. 麻生新奈 #nzi/10PQ
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読んできました。

舞台化したとき面白いんじゃないかな、と思うわたしは演劇部出身。
テレビドラマなどの映像では二次元的で、毒舌吐くときの唾や熱が伝わらない。今回のようにラジオドラマのような朗読ではyonda?さんのシナリオが生きない……とか。ううう。
シナリオ書いて土壇場で採用されなかった思い出がよみがえりました。orz

それにしてもシナリオスクールでの朗読、無理すぎます。脚本と演出(声)と演者(ナイスガイ)?
ハードル高すぎてわたしもへこみます。
  1. 2009/05/15(金) 12:53:25 |
  2. URL |
  3. きむろみ #w5curNNk
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ども。

うぃ。『走れキッチ』です。
原文はブログのほうに掲載されてなかったんですか。それではどういうことが起きてたのか私にはわかりませぬ。
  1. 2009/05/15(金) 14:28:58 |
  2. URL |
  3. 林 #40ZARpUE
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  5. [ 管理]

きむろみさん、はやしさん

きむろみさん
>舞台化したとき面白いんじゃないかな
「走れキッチ!」 にはたしかにそんな雰囲気がありますね。
若い(ミ^。^彡っ)ころに、廃墟みたいなw小さな劇場で、不条理劇を見たことがありまして。人間スローモーション+ブルーのライティングでできあがる異空間に感動したことがある。……体力的には大変そうでしたが>人間スローモーション
なんか、そういう種類の「劇」を連想させるものはありますね、TVドラマじゃなくて。
「シナリオスクール」ってどっちのシナリオなのだろ。いままでの記事を読む限りは、TVな感じだったのです。

林さん
>わかりませぬ
はい、私も当日のシナリオ作品はわからないのですけどね。だいたいあっちこっちで色んなものを読んでいても、作者ごとに、「この人はあるラインは下まわらないだろう」っていう感覚はあるじゃないですか。

お二人ともコメント感謝。でも、yonda?さんへの感想はyonda?さんのとこに書いてくれぃw よろしくです。
  1. 2009/05/17(日) 21:35:50 |
  2. URL |
  3. 麻生新奈 #nzi/10PQ
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管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2009/05/17(日) 23:01:55 |
  2. |
  3. #
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↑の秘コメは、麻生の備忘です。

ミ^。^彡っ
  1. 2009/05/17(日) 23:03:08 |
  2. URL |
  3. 麻生新奈 #nzi/10PQ
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